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信楽焼の歴史(誕生)

2020/06/12

愛嬌たっぷりのタヌキの置物で有名な信楽焼。日本六古窯のひとつで、

豊かな自然に恵まれたのどかな山里で焼かれています。

 

 信楽焼の発祥には奈良時代と鎌倉時代後期の二つの説があります。奈良時代の説には、743年に聖武天皇が紫香楽(しがらき)の地に大仏を造営することを発願、745年には紫香楽の地を都と定めました。この都の宮殿に用いられた布目瓦がその根拠とした説ですが、それらを焼成した窯跡などは確認されておりません。後の鎌倉時代後期説は窯跡や出土品が確認されており、設立時期という点では妥当だと考えられています。

 時を経て室町時代から、茶道が発展。それに合わせて、1510年頃から信楽茶陶作りが始まります。茶の湯の中心地であった京都や奈良から近く、しかもよい土が取れる信楽は、茶器の生産地として適していたため、優秀な陶工が集まるようになりました。こうした立地条件の良さが、茶陶が大きく発展した要因だと言えるでしょう。その品質の確かさは250年以上にも及ぶ安定の世を築いた徳川幕府にも認められました。1622年、徳川幕府は信楽の工人に対して、献上茶壺の製作を依頼したのです。徳川幕府の評価が高かったことは、その後信楽での献上茶壺の製作が大正時代まで続いたことからも、うかがい知ることができます。

 江戸時代には茶陶とともに、水甕などの大物陶器作りも盛んになりました。登り窯が登場し、大量生産が可能になったからです。商業の発達と相まって、信楽は畿内随一の陶産地として、その名を知られるようになりました。

 

やきものハンドブックより
制作:「陶器の日」事業4団体協議会
・日本陶磁器工業協同組合連合会
・日本陶磁器産業新興協会
・TOZIX・ジャパン
・日本陶磁器卸商業協同組合連合会

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