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波佐見焼の歴史(誕生)

2020/06/01

波佐見焼の古里、波佐見町は長崎県の中央部に位置します。佐賀県有田町と隣接しているだけあって、波佐見焼と有田焼の歴史は非常に似通っています。

 

有田焼誕生のきっかけを作ったのは豊臣秀吉だという話を紹介しましたが、実は波佐見焼の誕生にも豊臣秀吉が関わっています。そのきっかけとなった出来事は、2度にわたる朝鮮出兵。朝鮮から日本へ引き上げる際、波佐見地方の領主だった大村喜前が連れて帰ってきた朝鮮人陶工が、波佐見焼の礎を築いたと言われています。どこかのページで読んだことのあるようなエピソードですね。

 日本へ来た朝鮮人陶工の1人だった李祐慶(り・ゆうけい)が1599年に波佐見町村木地区の畑ノ原、古皿屋、山似田の3箇所に連房式階段状の登り窯を築き、磁器の生産を始めました。これが波佐見焼きのルーツだと言われていますが、文献などは残っておらず、定かではありません。波佐見で最初に磁器焼成に成功したのは、この3つの窯ということで間違いはないようです。

 波佐見と言えば、染付や青磁といった磁器の一大生産地として知られていますが、実際に磁器の生産が本格化したのは1630年代を過ぎた頃。隣接する有田で藩の窯場統制があり、陶器を作っていた窯場を廃止して磁器の生産が主流になった影響を受けて、波佐見でも同様の動きを見せたのです。磁器の原料となる陶石を豊富に埋蔵している三股地区の窯を中心に、磁器生産が行われました。色絵のやきものも作られましたが、主に染付や青磁が生産されています。

 1600年代の半ばから後半にかけては、有田焼と同様に輸出量が大幅に増加しました。それに伴い窯の数も増えていきました。こうした状況に大村藩は「皿山役所」を設置。藩自らがやきものの生産管理を行うようになりました。それだけ、波佐見での磁器の生産量は多かったということが言えるでしょう。

 1690年前後になると中国が国を挙げて磁器の貿易を強化したことに伴い、波佐見では輸出品から国内向けのやきものへとシフト。リーズナブルで使い勝手の良い日用食器の生産が中心となりました。その流れは今も続いています。

 

 

やきものハンドブックより
制作:「陶器の日」事業4団体協議会
・日本陶磁器工業協同組合連合会
・日本陶磁器産業新興協会
・TOZIX・ジャパン
・日本陶磁器卸商業協同組合連合会

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