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美濃焼の歴史(誕生)

2020/05/01

美濃焼のふるさと岐阜県東濃地方は、地形的にも地理的にも、やきものを作るのに適した地域。
1300年もの昔から多種多様なやきものが作られてきました。

美濃焼の歴史は古く、そのルーツをたどると古墳時代にまでさかのぼることができます。その始まりは、「須恵器(すえき)」と呼ばれるやきものでした。

5世紀の前半、朝鮮半島より製法がもたらされた須恵器は、ロクロを利用して成形し、穴窯を用いて1000〜1200度の高温で焼き上げるのが特徴。窯を使わずに600〜800度の低温で焼成していた縄文式土器と比べて水に強く丈夫な器として、その製法は全国各地へと広がっていきました。

東濃地方でも須恵器は生産されるようになりました。これが美濃焼の始まりです。7世紀には須恵器を焼く窯が10基程度あったことが確認されています。穴窯の数が増えていったのは、東濃地方が須恵器を作るのに適した地形・地質だったためです。ゆるやかな丘陵地が続き、掘りやすい地質のため、穴窯が造りやすかったのです。山の斜面を利用した地下式あるいは半地下式の穴窯で、盛んに須恵器が焼かれるようになっていきました。

時代が進み平安時代に入ると、新たな技術を取り入れたやきものが出現します。その名は「灰釉陶器(かいゆうとうき)」。釉薬をかけたやきものが作られるようになりました。須恵器よりも耐水性のある灰釉陶器は食器や貯蔵容器として生産され、貴族や寺社などでこぞって使われるように。その需要は東濃地方だけでは収まらず、全国へと広がりを見せます。

灰釉陶器の登場により、美濃のやきものは全国へと届けられるようになりました。ただし、あくまで位の高い人のもの。庶民にも使用されるようになったのは、鎌倉時代のことです。灰釉陶器に代わり釉薬をかけない「山茶碗(やまぢゃわん)」が登場し、広く浸透していくことになりました。

その流れは戦国時代になるとさらに加速します。熱効率のよい地上式の大窯が考案され、「天目茶碗(てんもくちゃわん)」や釉薬のかかった皿を中心に、碗・すり鉢などが大量に生産されるようになり、全国へ広く流通するようになりました。

やきものハンドブックより
制作:「陶器の日」事業4団体協議会
・日本陶磁器工業協同組合連合会
・日本陶磁器産業新興協会
・TOZIX・ジャパン
・日本陶磁器卸商業協同組合連合会

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