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九谷焼の歴史(誕生)

2020/03/03

九谷焼の始まりは江戸時代です。加賀藩の肝いりで始まりました。
約100年の空白期間を経たのち、見事に再興しています。

九谷焼が誕生したのは江戸時代初期の1655年頃のことでした。きっかけは、九谷村(現在の石川県加賀市)の金山で陶石が発見されたという話です。第3代加賀藩の前田利常はその話を聞きつけ、九谷を磁器の生産地にしようと思い立ちました。

そこで利常は、支藩である大聖寺藩の初代藩主であり茶人でもあった息子の利治に、九谷での開窯を命じます。利治は、藩士の後藤才次郎を磁器の生産地として有名だった肥前有田へ派遣。有田でみっちりと製陶の技術を学んだ才次郎は、その後九谷へと戻り、窯を築きました。これが、九谷焼の始まりだと言われています。

九谷で作陶活動を始めた才次郎は、加賀百万石文化の華麗な装飾性に強く影響された、独特な様式美を持つ磁器を生み出しました。この頃に作られたやきものは「古九谷」と呼ばれ、日本の絵付け磁器の代表として今なお高い美術的価値を誇っています。

このように素晴らしい作品を残した九谷の窯でしたが、1700年代の初頭に突如閉じられてしまいました。その理由は、謎に包まれたまま。いまだに明らかになっていません。陶磁器の歴史に残るミステリーのひとつです。

才次郎が開いた九谷の窯の突然の廃窯から約100年の空白期間を経て、加賀藩は1807年に、金沢の卯辰山に藩営の春日山窯を開きます。九谷焼を再興したいという強い思いがあっての取り組みでした。京都から有名な陶芸家の青木木米を招へいしたことからも、その思いの強さが感じられるのではないでしょうか。この春日山窯の開窯を契機に加賀藩の領内では若杉村の庄屋、林八兵衛によって築かれた若杉窯、大聖寺の豪商、豊田伝右衛門が開いた吉田屋窯などが次々と開窯しています。

木米風の春日山窯、古九谷の再興を目指した吉田屋窯、赤絵細描画の宮本屋窯、金襴手の永楽窯…。新たにできた窯では、それぞれの個性を活かした画風が作り上げられ、見事に九谷焼は再興されることになりました。この時期の作品は「再興九谷」と呼ばれています。

やきものハンドブックより
制作:「陶器の日」事業4団体協議会
・日本陶磁器工業協同組合連合会
・日本陶磁器産業新興協会
・TOZIX・ジャパン
・日本陶磁器卸商業協同組合連合会

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